『人間関係の名言・格言集第51回』
2016年5月31日(火)天吉名言集
お早うさん!
5月も今日でおしまい!
あっという間に年も半ばです。
今日は友人からいただいた
とてもいいお話です。
長いですが最後までお読みください。
尚、天吉コメントはありません。
『人間関係の名言・格言集第51回』
『我が子の幸せを願う母の心に応えるには・・』
少年は両親の愛情をいっぱいに受けて育てられました。
特に母親の溺愛は、近所の物笑いの種になるほどでした。
その母親が姿を消した。
庭に造られた粗末な離れ。
そこに籠もったのです。
結核を病んだのでした。
近寄るなと周りは注意したが、
母恋しさに少年は、離れに近寄らずにはいられなかったのです。
しかし、母親は一変していました。
少年を見ると、ありったけの罵声を浴びせました。
コップ、お盆、手鏡と手当たり次第に投げつけます。
青ざめた顔。長く乱れた髪。荒れ狂う姿は鬼でした。
少年は次第に母親を憎悪するようになっていきました。
哀しみに彩られた憎悪でした。
少年6歳の誕生日に母は逝きました。
「お母さんにお花を」と勧める家政婦のオバサンに、少年は全身で逆らい、
決して柩(ひつぎ)の中を見ようとはしません。
父は再婚しました。
少年は新しい母に愛されようとした。
でも、だめでした。
父と義母の間に子どもが生まれ、少年はのけ者になりました。
少年が9歳になって程なく、父が亡くなりました。
やはり結核でした。
その頃から少年の家出が始まます。
公園やお寺が寝場所だったり、
公衆電話のボックスで体を二つ折りにして寝たこともありました。
そのたびに警察に保護されます。
何度目かの家出の時、義母は父が残したものを処分し、
家をたたんで蒸発します。
それからの少年は施設を転々とするようになります。
13歳の時には、少年は知多半島の少年院にいて、
もういっぱしの「札付き」でした。
そんなある日、少年に奇蹟の面会者が現れます。
泣いて少年に柩の中を見せようとした、
あの家政婦のオバサンでした。
オバサンはなぜ母が鬼になったのかを話します。
死の床で母はオバサンに言ったのです。
「私は間もなく死にます。あの子は母親を失うのです。
幼い子が母と別れて悲しむのは、優しく愛された記憶があるからです」
「憎らしい母なら死んでも悲しまないでしょう」
「あの子が新しいお母さんに可愛がってもらうためには、
死んだ母親なんか憎ませておいたほうがいいのです。
そのほうがあの子は幸せになれるのです」
少年は話を聞いて呆然とします。
自分はこんなに愛されていたのか。
涙がとめどもなくこぼれ落ちます。
札付きが立ち直ったのはそれからでした。
作家・西村滋(しげる)さんの少年期の話です。
※西村滋氏の著書には処女作『青春廃業』や
石原裕次郎主演で映画化された『やくざ先生』
日本ノンフィクション賞受賞の
『雨にも負けて風にも負けて』などがありますので
ご存知の方もおられるかも知れません。
西村滋さんの母の「我が子への愛」を皆さんはどう感じましたか。
西村さんのお母さんだけでなく、皆さんのお母さんも
「我が子の幸せ」を常に願っているのです。
私たちは、母の・・、両親の「深い愛」の中で生きているのです。
いや、毎日、「深い愛」の中で生かされているのです。
この母に・・、ご両親に・・
「ありがとう」と感謝せずに、何に感謝をするのでしょうか。
その両親への感謝の言葉こそが
「幸せな人生」への最短、最良の道ではないでしょうか。
ですから、どんな時も、何があっても
「ありがとう」と母に・・、両親に感謝の言葉を贈りましょう。
「言葉はちから」です。
その口にする感謝の言葉が
「幸せな人生」を歩んでいることを気付かせてくれるでしょう。
それが、「この世に産んでくれた」両親への一番の恩返しとなるでしょう。
幸せな人生を歩んで親に恩返しするために・・
さあ!!、今日も、
「言葉のちから」を信じて、
明るく、元気に、
「お母さん、ありがとう」
「お父さん、ありがとう」と感謝の言葉とともに
ウキウキ、ワクワク、幸せを実感しながら
授けて頂いた人生を心から謳歌しましょう。
そして、産んでくれたご両親へ恩返しをしましょう。
大丈夫!大丈夫!
あらゆる点で一層良くなる!
必ず良くなる!
良かった!良かった!
ツイてる!ツイてる!
ありがとう!
素晴らしい仲間達と
共に生き!!
共に歩み!!
共に成長しましょう!!